INTERVIEW ABOUT HAUS-HYAZINTH

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MUVEIL MAGAZINE
vol.88
INTERVIEW ABOUT HAUS-HYAZINTH

詩人の夢を映し出す家

2024 CRUISE COLLECTIONの
LOOKの舞台となった小さな家。

ヒアシンスハウス

壁面を覆う木々の表情とシンプルな屋根に
スモーキーなグリーンが特徴的なこの建造物は
「ヒアシンスハウス」と呼ばれ、
MUVEIL 2024 CRUISE COLLECTIONの
インスピレーション源である立原道造が
生前建てようとしていた週末住宅です。

詩人として活躍しながらも建築家を志していた立原は、
東京帝国大学時代から設計課題で
3年連続奨励賞とされる
辰野賞を受賞するほどに才能を開花させ、
大学卒業後石本建築事務所へ入りましたが、
翌年には結核のため
24歳という若さで亡くなっております。
そのため、彼の設計による作品は
ひとつも残っておりませんでしたが、
彼が遺していた図面を基に有志の手によって
構想後66年を経て建てられました。

MUVEIL MAGAZINE vol.88では、
ヒアシンスハウスの会運営委員会を務め
さいたま文藝家協会理事でもある
北原立木氏にお話を伺いながら、
ヒアシンスハウスの魅力に迫ります。

ヒアシンスハウス

JR埼京線中浦和駅より5分ほど歩けば、
緑豊かな木々とそれらを映し出す沼が織り成す
美しい景色が出迎えてくれます。
憩いの場として愛され続ける別所沼公園に
ポツンと佇むのがヒアシンスハウス。
約5坪の愛らしい佇まいながら、モダンな表情とともに普遍的な存在感を放ちます。

Q
立原はどういったきっかけでこの場所を訪れたのでしょうか。

A
当時別所沼周辺には、神保光太郎や須田剋太、里見明正など多くの画家が住んでおりました。須田剋太と特に親交のあった立原がこの場所を訪れた際とても気に入り、「ヒアシンスハウス」と名付けた週末住宅を構想します。構想段階で友人知人にプロジェクトを知らせる葉書を何通も書き上げただけでなく、別所沼の住所を記した名刺を作ってしまうほど、彼はこの計画の実現を切望していました。

旗

滞在中であることを友人たちに知らせるために立原が思いついたアイデア。旗のデザインは、彼の知人で会った画家・深沢紅子に依頼していた。
現在はヒアシンスハウスオープン時に掲げられる。

Q
それほどの情熱を傾けた理由は何だったのでしょう。

A
この別所沼周辺に芸術家村のようなコミュニティーを作りたかったのではないかと考えられています。何か文面が実際に残っているわけではないのですが、彼は大学の卒業研究で「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」を発表しました。美しい土地に芸術家が集う建築群を建てる夢を抱いていたなかでこの別所沼を訪れ、ここであれば実現できると確信したのでしょう。ヒアシンスハウスはトイレがあるものの、台所や水洗い場というのは存在しません。東京に住み仕事をしながらも、週末はここに居住する。2-3日過ごすのであれば、ご飯は旗を掲げればきっと友人が訪れてくれるしどうにかなると踏んでいたのでしょう(笑)生活のための家ではない別の構想がこの週末住宅には込められているように思います。

図面

立原が実際に残した図面や葉書の数々。一枚一枚手書きで告知していた。

Q
生活のための家ではない場所というのは面白いですね。

A
ヒアシンスハウスの中に入っていただくとわかるとおもうのですが、温もりはあるのに生活感がないんです。水回りがないというのもそうなのですが、ベッド、仕事机と応接間的役割のテーブルのみの簡潔な空間になっています。

デティール1

壁面も家具も全て木の質感を生かし、壁4面に設置されて別所沼の景色と一体化していく。立原は自然と共存する建築を強く望んでいました。天井いっぱいまで開き左右を壁で絞り込んだ左右のガラス窓は、柱を内側に入れることで外との境がより曖昧になっています。

窓

日本の伝統木造を感じるに方向窓柱が中に入っているのがわかる。

窓

立原が文章に残しているこだわりの窓を再現したこのベッドの窓は、本来別所沼側に配置される予定だった。

光や木々の移ろいから風の変化までこの空間にいれば、感じることができるんですよね。 自然と一体となって居住するための場所だったのでしょう。


Q
文芸誌『孤帆』を主宰されている北原さんからみて、ヒアシンスハウスにおいて詩人の顔が垣間見られる箇所はありますか?

A
モノを書く仕事というのはディテールが大切になりますが、ヒアシンスハウスにもあらゆる箇所に散りばめられています。先ほどお伝えした窓や柱だけでなく、椅子や窓の鍵一つをとっても細部まで描写する、詩人としての立原が宿っているように感じますね。

デティール

栗の木でつくられた椅子は立原のスケッチを忠実に再現した。

当時立原は、麹町にある屋根裏部屋に住んでいましたが、都会の喧騒もあり文学との距離を感じていたのかもしれません。掘っ建て小屋をつくりそこで歌を詠んできた歌人のように立原はここで文学的発想が生まれるのを夢見ていたのでしょう。

ご協力いただきありがとうございました。

取材にご協力いただいた北原立木氏をはじめとしたヒアシンスハウスをつくる会が「詩人の夢の継承事業」を立ち上げ、行政や有志の協力の下、ヒアシンスハウスの建築が実現しました。 建設後はヒアシンスハウスの会を発足し、維持管理するだけでなく芸術と自然への愛と共感を育むシンボルとして活用し、週3日開室しております。

豊かな自然と共住空間がグラデーションのように調和すると、日々の喧騒から離れ詩的な世界に誘うヒアシンスハウス。是非訪れてみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ヒアシンスハウス
所在地 : 埼玉県さいたま市南区 別所沼公園内
アクセス: JR埼京線 中浦和駅から徒歩5分
開室日: 水・土・日・祝 10:00~15:00
(ただし年末年始は休室)
※外観はいつでもご覧いただけます。

2024.01